自宅の敷地を旧街道が通っていた。ただし、上空を

自宅の横の道は、昔の西国街道だったそうだ。

実家も、横の道が旧高野街道だった。それで住むところを選んだわけではないが、共通していると知ってからは気に入っている。高野街道なら高野山参りの人々が歩いただろうし、西国街道なら大名行列も通ったかもしれない。実家の近くには「左、高野山、右、天野山」という古い道標が残っていた。旧街道には、そういう石がつきものである。

自宅の近くにも一里塚跡がある。といっても江戸時代の塚が残っているわけではなく、新しく道標だけ再現されたものだ。このあたりは半世紀あまり前に山を造成した広島市内のニュータウンで、道はまっすぐに整えられている。江戸時代から残っていなくても、跡地にそういうものが置いてあるのはよいことだと思う。

9年前、広島に引っ越してきた。最初は同じ地区の別の家に住んでいて、まだ土地勘もない頃、近所を散歩しては面白いものを写真に撮っていた。駅の近くにあった旧街道の案内板も、そのとき撮っていた。今の地図の上に、昔の街道のルートが点線で引かれていた。当時は、それだけの写真だった。

今の家に越したのは6年前のことだ。それからいつだったか、もう一度あの写真を見たのか、駅前の看板そのものを見たのか、点線がちょうど自宅の敷地の真ん中を通っていることに気づいた。それまでは、家の前の道がそのまま旧街道なのだと思い込んでいた。点線を信じるなら、昔の道は今のまっすぐな区画と違って、蛇行しながら自宅の敷地を斜めに横切っている。造成のときに道が整えられたのなら、そういうこともあるだろう。古い石が残っていないのも、それでかもしれない。敷地の真ん中を大名行列が通っていたのかと想像するのは、悪い気分ではなかった。

とはいえ、散歩者向けの案内板の点線が正確だとは限らない。そこで、まとめて調べてみた。AIにも資料を漁らせ、国土地理院の旧版地形図と今の地図を並べて見比べた。等高線を縫って蛇行する破線が、たしかに自宅のあたりを通っている。案内板の点線は、案外正確に引かれていた。

同時に、もう一つのことがわかった。このニュータウンは山の尾根を削って造られていて、自宅のあたりの地面は、もとの斜面よりずっと低い。旧街道は削られる前の斜面の中腹を通っていたから、実際の道は、自宅付近では今の地面より十数メートル、あるいはもっと上にあったことになる。敷地の真ん中を通っていた、という理解は、平面図の上でだけ正しかった。

ちょっと残念ではあった。ただ、近所の小高い山が、ほぼ同じ高さの尾根のまま自宅のところまで続いていたというのは知らなかったことで、これは面白い発見だった。それだけ大がかりに削ったのなら、一里塚が塚ごと消えて、石碑だけ新しく建てられているのも納得がいく。昔のままの姿で残っている区間は、山道の入り口の百メートルほどだけらしい。

それでも夜、布団の中で想像してしまった。真下から見上げる格好である。天井と、行列の足元の地面が透明なら、大名行列は完全に空に浮いている。江戸時代の行列がそのまま現代に現れて、行列のまわりにだけ当時の世界が続いていて、向こうは削られる前の地面を普通に歩いている。寝ている向きから考えると、行列は上りだ。江戸に向かっている。音までは、想像しなかった。

上空十数メートルを行く大名行列の想像図。行列は画面の奥、江戸の方角へ進んでいる(AI生成)

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